ネイティブ・インディアンの言葉

今日のお弁当♪
            雑穀米のおにぎり・ふかした薩摩芋・浅漬け・プルーン

2004・2005年の手帳を読み返してみたら・・・・・
当時よく読んでいたネイティブ・インディアンの言葉が書きとめてあった。
その中から、

わたしは醜いものを眺めながら、そこに美しいものを見る。
はるか我が家を離れていながら、故郷の友たちに会う。
うるさい音を聞きながら、その中にコマドリの歌を聞く。
人込みの中にいても、感じるのは山の中の静けさだ。
悲しみの冬の中にいて、思い出すのは悦びの夏。
孤独の夜にあって、感謝の昼を生きる。
けれど悲しみが毛布のように広がり、もうそれしか見えなくなると
どこか遠いところへ目をやって
胸の奥深くに宿るものの影を見つける 

 『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド著

マントラ

マントラとは、ヴェーダ聖典に収められている金言の総称のことです。
つまり、ヴェーダ聖典に収められているもの意外はマントラとは言わない。
恥ずかしながら、最近までこの事実を知りませんでした。
マントラには「死の恐怖を取り除く」(死とは無知の総称)または「心を落ち着ける」
という意味があります。
祭事に使うマントラ、瞑想の導入に唱えられるマントラ、死の恐怖を取り除くマントラ etc.
数え切れないマントラが奇跡的に現在に伝えられているとは!

本当に心が落ち着かないときは、マントラを唱え続けると心が落ち着いてくるから
不思議です。
そのマントラを使って、日本橋にある老舗和紙店にてマントラ写経のワークショップを
開催します。


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     << マントラ写経(サンスクリット語)ワークショップのお知らせ  >>
日時:11月23日(水)祝日    10:00~12:20
場所:小津和紙2F第3教室    定員:7名限定     
受講料:¥3000(教材費込み・お茶付き)   

http://www.ozuwashi.net/school/index.php

サンスクリット語が初めての方でも大丈夫◎
書き方や意味も丁寧にお教えします。
マントラ写経は、書く瞑想ともいえます。
どうぞ体験してみて下さいね♪

自分メソッド

                  りんごのマンホールby長野県飯綱



 
今朝のヨーガクラスでは、久しぶりに手足の爪もみ・指まわし+手足のマッサージをしてみました。 福田・安保理論として、流行った時期もありましたが最近はどうなのかしら?と思って、帰りに本屋さんに寄ってみたら、新たな本も出ていて健在でした。(笑)
日々、新たな○○○療法なるものが出ては消え出ては消え・・・・私たちもアレが良いと聞けば飛びつき、コチラの方が良いと聞けばそちらに乗換えて、なんと忙しいことでしょうか。
「いいなぁ~」と思ったものには3ヶ月~6ヶ月くらい暫く付き合って様子を観察してみましょう。結果は焦らず、人と比べず、腹を決めて辛抱強く取り組むだけです。

作家の五木寛之さんが、ご自分の健康メソッドとして日々行っていることをまとめた本があるというのを見習い、私も自分のメソッドをまとめてみようと思います♪

果 物

                         本日のお弁当♪

人参・しめじ・油揚げの炊き込みご飯+南瓜のきんぴら+もやしのナムル
食前の果物(果物はデザートとしてではなく、ご飯より先にいただきます)           青森のお土産りんご(初物)+葡萄

果物やサラダのように生でいただくものは、基本的にカラダを冷やすので朝か昼に食べるように心掛けています。そして、果物も取りすぎはNGになので美味しくてもほどほどに。 食べるものによってもカラダを内側から冷やしたり温めたりするので、食べ方や組合せにも心配りが必要になります。

精進ベジタリアン














私はベジタリアンです。
最近はマクロビが広まってきているので、そんなに物珍しく思われることも減ってきま
した が、 少し前までは「ご病気ですか?」と必ず聞かました。病気の治療としての食事
療法だ と思われていたんです。
子供の時や母が作ってくれたものを食べていた頃は普通でしたが、 自分で食を選択で
きるようになって自然とベジタリアンになっていきま した。 かれこれ15年以上になります。
初めての1人暮らしはイタリアでした。スーパーもありますが、買物は 基本的に市場。
お肉を欲しくなったら、当然お肉屋さんへ。あたりまえ のことですが、お肉屋さんの店先
は かなりグロテスク。欲しいものは 店主に言って、どの部分をどれくらい(どういう料理
をする か)などと 細かく伝えるとノコギリかナタのようなものでさばいてくれます。
薄切りや細切れミンチなどという存在はないらしく、ただでさえ語学の乏しいのに説明せ
ね ばならず一苦労でした。
もともと肉へのこだわりも全くなく、 野菜好きだということもあり、野菜が安くて美味しい
ので 貧乏学生だっ た私はベジタリアン一直線へ。
完全にオーガニックのベジになったのも、やはりカナダでした。
日本でも初めのうちは、大好きなヨーグルトや牛乳などの乳製品はや めるつもりもなく
(やめ られないと思っていた)たのですが、カナダの友人でパンが大好きなのだけ小麦
粉をやめたら咳きが楽になった、 というのがきっかけで好きなものは実はカラダに良い
とは限らないと 解り乳製品を辞めてみることに。
そうすると、アレルギーのようだった鼻が本当に楽に~◎

ベジタリアンといっても、ビーガンやマクロビとは違い、私の場合はにんにく・玉ねぎ・にら 
などの香りの強い野菜は使いません。 子供の頃から葱系が苦手で、それは子供独特の
もの だろうと思って いましたが、大人になって自分で選択できるようになると私にはそれ
らの物が 強すぎるということが判明。
玉ねぎは血液をサラサラにする、と言われますが私はアウト!
玉ねぎを消化できる能力が少ないのか、玉ねぎを食べるとオナラは臭いし、カラダ中が
ソワソワした様な感じになり大変です。 にんにくも同様!
外食ではこの二つが何かと入っていることも多くて困ります・・・・・

基本的には穀物菜食ですが、友達が命名してくれた精進ベジタリアンという言葉が一番
しっく りしている今日この頃です。 精進というと、懐石料理風なかしこまったものを想像
しがちですが 毎日のことなの普通の素食(粗食ではなくて素の食)です。
かつては、食にこだわりすぎて視野が狭くなりガチガチになっていた頃もありました。
アレだめ、 コレだめ、で目が引きつっていたことでしょう(笑)
人にもよりますが、ベジでも顔が黒くなったりする人はやりすぎです!
何事もやりすぎる・こだわりすぎて過度になると回らなくなることを実感し、 今は食に対し
ても穏やかに向き合うことが出来るようになりました。
ベジを薦めるわけでも、ベジが偉いとかではなく、私のカラダにはそれがただ合っていた
だけですから。
自分に合った食は、カラダへの負担が本当に楽になります!



         上の写真のりんごで作ったジャム  →→→
                           このピンク色!!

自分を忘れる

先日、BS番組で女優の黒木メイサさんがスペインにフラメンコを習い
にいくドキュメント番組を見ました。
先生は「心で躍れ、心を表現して」と言っていたのが印象的でした。
私の書道の先生も同じようなことをおっしゃいます。
そして作品に魂を込めろ!と。

ヨーガのアーサナはシバ神への奉納と言われています。
アーティストが神社仏閣に作品を奉納するように、私たちもヨーガを
通して神様に奉納しているんですね。知ってか知らずか(笑)


よく芸術家が作品を制作中に神が降りてきた、自分ではないなにか
大きな力に後押しされた、などといったりするのを聞いたことがある
と思います。そういうのは芸術家とか特殊な人だけだと思っている
かもしれませんが、人の全ての行為は神様への奉納です。
食べることも、お風呂に入ることも、眠ることも、等々。
人は誰でも何かに集中するとき、我をも忘れる瞬間があります。
無我夢中で自分さえも忘れてしまう・・・・
「自分を忘れること」これが人によっては神が降りてきたという表現に
なるのかもしれません。

現代アートの草間弥生さんは、作品の中に水玉(ドット)を描くことは
自己消滅だと言っています。実際、その思いを込めて描いているんだ
ろうと推測できますし、だから多くの人に共感されるのでしょう。
まだまだエゴの強い私はそこまでの道のりは程遠いものですが、
いつの日か テクニックとかそういうのからも離れ、自分を忘れた作品
が出来るようになりたいものです。

呼吸と瞑想

正しい呼吸法を身につけることで気の流れの調整を行い、
自分の健康を害していたココロのくせに気付くようになり、
コントロールができるようになっていきます。

瞑想の習慣を持つことにより、とらわれない本来の自分
自身の有り方を知り、ありのままの自分を受け入れること
ができるようになります。

ココロとカラダの「調和」と「気付き」を体感してみませんか。


<教室> 呼吸と瞑想クラス yoga salone毎月第3土曜日 12:30-14:30  (10/15・11/19)
小津和紙店2F 第3教室
参加費:¥2000    定員:少人数限定
※着替え不要、イスに座っておこないます。

12月より毎月第1土曜日(12/3) 10:00-12:00に変わります
呼吸法・リラクゼーションストレッチ・瞑想のあとで
ゆっくりお茶を飲みながらシェアリングしていきましょう♪

http://www.ozuwashi.net/school/index.php

■お申し込み
中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル2F
小津和紙  今井・中村まで
℡ 03-3662-1184

雨ニモマケズ

私たちの暮らす現代社会は物質的に恵まれ、便利で快適な生活をしている
一方で 、拝金主義・競争化・目まぐるしいスピード・過度な情報量 といった
ストレスの重圧から知らず知らずのうちに、ココロとカラダがちぐはぐになって
しまいがちです。
あなたのココロとカラダはどうでしょうか?

健康を願わない人はいないもの。
でも果たして、何を基準に私たちは"健康”といっているのでしょうか。
一般的には「病気をしていないから健康だ」「病気だから健康じゃない」と
考えがちですが、肉体はもとよりココロも健やかな状態であってはじめて
健康な状態であるといえます。
肉体的な健康を手に入れるために色々なケアはしているのに、
ココロのケアが出来ている人はどのくらいいるのでしょうか?

私たちの身体は食べ物の化身です。
食べたものが想像を絶するほど細分化され血や肉や骨に変化し、そして
エネルギーそのものになります。
1年前に食べたケーキも、昨日食べたカレーだってみんなそう。
つまり食とは命をつなぐものなんです。
幸いにも、私たちはどういう物を食べるかを選択できます。
手軽だからとインスタントなものばかり選んでいたり、目先にとらわれて
食べたりとしていないでしょうか?
食事をおろそかにすること→生活をおろそかにすること→人生をおろかそ
かにすること、に繋がっていきます。

だからとといって、食だけ、カラダを動かすことだけ、ココロの穏やかさだけ、
では上手くいきません。ひとつだけを見るのでなく全体をバランスよく調整
していくことが大切です。



『雨ニモマケズ』               
                 宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


★目指したいのは、このような生き方ですね。

私は、いつも、あなたのそばにいます。

私のvedandaの先生が訳した詩をご紹介します。


********************************


私は、いつも、あなたのそばにいます。


あなたは、私を必要としていますか?
私は、そこにいます。

あたなに私がみえなくとも、
私は、あなたがみている光そのものです。

あなたに、私の声が聞こえなくとも、
私は、あなたの言葉を通して、話しています。

あなたは、私に触れることができなくとも、
私は、あなたの手を動かす力なのです。

私は、常に働いていますが、
あなたは、私の行為を知らないでしょう。
私は、美しい姿、素晴らしい形をしているわけでもなく、
いかなる秘密めいたものでもありません。

完全なる静けさの中、あなたが、自分自身を忘れる時、


私の存在がはっきりと解るでしょう。
でも、それは、
信仰(シュラッダー)と信頼(ヴィシュヴァーサ)に
よってのみ可能となります。



私は、そこにいます。
あなたが、私を必要とすることろに。

あなたは、私なんてそこにいないと言うかもしれません。
でも、私は、そこにいます。

あながた、よそよそしい態度でも
私は、必ずそこにいます。

あなたが、恐怖のなかにあるとき、
私は、あなたの友として見守っています。
あなたが、痛みで苦しんでいるとき。
私は、決してあなたの手を離したりはしません。


あなたが、私に祈っても、祈らなくても、
私はいつもそばにいます。



あなたには、私への確信がないかもしらません。
でも、私はあなたへの信頼は揺るぎません。
なぜなら私は、あたなをとてもよく知っているからです。
私はあなたを一番大切に思っています。
ああ! 最愛の人よ、
私は、ずっと、あたなと一緒です。

自分を知ること①

一番近くにいるけれど、知っているようで知らない自分のこと。
果たして私たちは自分のことをどれ知っているでしょうか?
自分を知ることとは、自分と向き合うことです。
よく巷で、「自分探しの旅に出ます」という方がいらっしゃいますが
自分ははじめから片時も離れずいつも一緒にいます。
私たちが離れてしまっているだけで、本来の私はここに居ます。
外側の刺激ばかり求めて意識が外へ外へと向いやすくなると、
どうしても内側に意識が向かいにくくなるのが人間の性です。
世界中を旅しても、たとえ宇宙まで行ったとしても見つかりません。
眼鏡を頭の上に乗せて、「眼鏡眼鏡~」と探し回っているようなもの
なのですから・・・。 (笑)


今まで全く内側に意識が向けたことがなかった人が、内側に意識を
向けることは初めのうちは辛い作業になるかもしれません。
「自分のカラダの声を聞こう」「自分のカラダと会話してみよう」なんて
フレーズを聞いたことがあると思いますが、ご存知のとおり実際に
カラダは何も話しませんし、答えてもくれません。
内側に意識を向けて、ただただカラダを観察していくだけです。
「今日の体調はいかがですか?」と尋ねると、調子が良い場合の人は
「いいです」とだけいう方がほとんどです。でも本来ならどのように良い
のか何がこうだから調子がいいのか、昨日に比べてどれくらいの良さ
なのか、まで細かく分析できたら◎です。

自分を知ることは性格や癖を知ることだけでなく、体質を知ることや
心の質も知ること、です。
体質を知ることはカラダの弱みを知ることになりますが、逆にそれが
強みになります。予測して予防が出来るようになっていくからです。
そしてその原因を探り、その原因を取り除いていければgoodです◎

自分の人生をより生きやすく生きぬくために♪
そして、カラダが私たちの最高の友でありますように。